漫画『ゴールデンカムイ』に対する8つの疑問点




1. はじめに


2〜3年ほど前に出会って以来基本的には楽しんで読み続けてきた漫画『ゴールデンカムイ』だが、物語が最終章に突入したここへきて、ふと批判的な意見があまり見当たらないことに気がついた。
奇しくも、最終章の舞台は父(故人)の故郷であり筆者も何度となく訪れている函館である(ちなみにヘッダー画像は父の法事で函館に行った際に立待岬で撮ったもの)。


どんな名作にも欠点はある。『ゴールデンカムイ』も例外ではなく、さらに言えば最近は「おや?」と感じるエピソードが以前よりも増えているように感じられる。
そこで、『ゴールデンカムイ』を読んでいて個人的に疑問に感じた部分を書き記しておこうと思う。


なおこの記事を書いている時点で、ゴールデンカムイ』は単行本未収録の話も含めて全話無料公開キャンペーン中である。(2021/7/29(木)~2021/9/20(月)まで)






2. 『ゴールデンカムイ』とは?



言わずと知れた有名作品だが、本題に入る前に念のため『ゴールデンカムイ』という漫画について少し説明する必要があるだろう。


ゴールデンカムイ』は明治期(日露戦争直後)の北海道を舞台にした冒険・バトル・サバイバル漫画だ。
日露戦争で兵士として鬼神の如き活躍を見せたため“不死身の杉元”の異名で呼ばれる青年・杉元佐一は、戦死した親友の妻の病の治療費を稼ぐために単身北海道の小樽へ渡り砂金採りに勤しんでいた。
そんな杉元は、ひょんなことからアイヌ埋蔵金の在処を示す暗号を見つけ、小樽近くのコタン(村)に住むアイヌの少女・アシㇼパと協力して黄金を探すことになる。

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ゴールデンカムイ1巻1話より。杉元とアシㇼパが出会う場面


その暗号とは、網走監獄から脱獄した24人の囚人の体に彫られた刺青。刺青を彫った男(通称・のっぺら坊)は、アシㇼパの父を含む7人のアイヌを殺して埋蔵金を奪い、どこかへ隠したらしい。その黄金の在処を網走監獄の中から仲間に伝えるため、囚人に暗号の刺青を彫った上で脱獄させるという一見奇妙な手段を取ったわけだ。


他にも、箱館戦争で死んだと思われていたが実は生存していた元新撰組副長・土方歳三日露戦争で果敢に戦った兵士たちが報われていないと感じ明治政府に対するクーデターを企てている陸軍第七師団小隊長・鶴見中尉など、一癖も二癖もある登場人物たちがそれぞれの目的で黄金を狙っている。杉元は他の勢力と争い、場合によっては共闘して暗号を集める…つまり、刺青を彫られた脱獄囚たちを捕まえていくことになる。


その過程では、アイヌ文化、狩りで獲った野生動物を使った料理、開拓時代の北海道の産業などの紹介が挟まれ、内容は非常にバラエティに富んでいる。

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ゴールデンカムイ5巻47話より。アイヌの織物「アットゥㇱ」


迫力あるバトル・アクション描写も見どころの一つで、当時実際に使われていた武器に関する蘊蓄も興味深い。


さらに、ネット上では“変態”と言われ親しまれて(?)いる、個性豊かな脱獄囚たちにも要注目だ。実在した有名な犯罪者をモデルにしていることが多い囚人たちは、ほとんどが凶悪犯にもかかわらず、(常人には理解しがたい)信念を持って行動しておりどこか憎めない。

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ゴールデンカムイ5巻41話より。ニシン猟師に紛れてターゲットを物色していた連続快楽殺人鬼・辺見


アイヌ文化や明治期の北海道について綿密な取材を元に描いていると同時に、稀に見る骨太なエンターテイメント作品でもある漫画、それが『ゴールデンカムイ』なのだ。
数々の漫画賞を受賞したり、大英博物館の『マンガ展』で主力作品として展示されたりするのも納得である。


www.asahi.com

news.mynavi.jp


また、北海道観光とのタイアップや博物館と協力した特別展示もおこなっており、北海道観光やアイヌ文化の振興にも貢献しているようだ。


goldenkamuy-hokkaido-campaign.jp

nam.go.jp


そんな『ゴールデンカムイ』に筆者がどんな疑問を持ったのか。以下に書いていこうと思う。




3. 初期からの疑問点(概ね ~20巻)

(1) アイヌの歴史に関する説明の不足


まずは初期からの疑問点についてだ。筆者が『ゴールデンカムイ』を読み始めてわりとすぐに気が付いたことがある。


それは、作中でアイヌへの迫害の歴史や明治政府による同化政策に関してほとんど触れられていないことである(筆者もアイヌの歴史や文化について詳しく調べ始めたのは『ゴールデンカムイ』を読んでからのことなので決して偉そうなことを言えた立場ではないが…)。


一応、脱獄囚のひとりでのちにアシㇼパと杉元の仲間となる白石由竹が初対面のアシㇼパを見下げる発言をしたり、アシㇼパが同化政策によって“小蝶辺明日子(こちょうべあすこ)”という日本名を持っていることが明かされたりはしているが、それ以上に踏み込んだ描写はほぼ出てこない。
劇中に出てくるアイヌの人々は、一見すると明治政府の政策の影響をほとんど受けずに以前からの伝統的な生活を続けているように見える。


実際の明治時代には、アイヌの人々がそれまで住んでいた土地を追われたり猟や刺青といった風習を禁じられたりする、アイヌ出身の子供たちに日本語・日本文化の教育を施してアイヌの言語や文化を否定する、といったことが起こっていたはずである。


もちろん、『ゴールデンカムイ』はあくまでエンターテイメント作品であり、作風が重々しくなりすぎないようにするため、あえてそういった描写を省いているのだ、という考え方もできる。また、作者の野田サトル氏は、アイヌの方々から「可哀想なアイヌなんてもう描かなくていい」という要望を受けたというので、そのためでもあるかもしれない。

konomanga.jp


——本作に登場するさまざまな要素のなかに、アイヌ文化があります。これまでアイヌ文化がマンガで取りあげられることは、あまり多くなかったですよね? なぜこの題材を選んだのでしょうか?

野田 まさに「多くないから」ですね。読者さんにとっては、新鮮に感じたのではないでしょうか。デリケートな題材だから、だれもが尻込みしていたのもあると思います。やはり迫害や差別など、暗いイメージがついてまわりますし。
でも、アイヌというテーマを明るくおもしろく描けば、人気が出るはずだと確信していました。取材でお会いしたアイヌの方からも言われたんですよ、「可哀想なアイヌなんてもう描かなくていい。強いアイヌを描いてくれ」と。


しかし物語が進むにつれ、アイヌの金塊を奪ったとされたのっぺら坊は実はアシㇼパの父・ウイルクその人であり、金塊を隠したのもアイヌが明治政府に抵抗する資金にするためだということが明らかになっていく。


となれば、ウイルクが網走監獄の囚人を24人も脱獄させてまで金塊を娘に託そうとした思いを描写する必要が出てくるだろう。そのためには、当然北海道のアイヌの歴史について全く触れないわけには行かない。
物語はこれからクライマックスへと向かっていくが、今から詳しい描写をしたとして間に合うのか、唐突感が出ないだろうか…それが気がかりである。


ちなみに、アイヌの歴史について簡単に知りたい方には公益財団法人アイヌ民族文化財によるこちらのサイトをおすすめしておく。


www.ff-ainu.or.jp



また、アイヌの女性・知里幸恵について描かれたこちらの漫画版伝記も良いかもしれない。



知里氏は『ゴールデンカムイ』よりも少し後の時代である明治~大正にかけて生きた人だが、アイヌ語と日本語両方に秀でており、言語学者金田一京助アイヌ語研究に協力しアイヌの神話や昔話をローマ字による筆記で書き残したことで知られている。知里氏の功績と共にアイヌの人々の歴史や文化についても描かれており、大変興味深い内容となっている。


知里氏の遺作となった「アイヌ神謡集


(2) アイヌ文化に関する誤った描写


ゴールデンカムイ』では細やかな取材をもとにアイヌ文化が描写されている。


が、3巻23話においてアシㇼパが雪山を滑り降りる“クワエチャㇻセ”を披露した場面には「ん?」と違和感を覚えた。アシㇼパが杖一本で雪の上を滑り降りているが、これは物理的に可能なのだろうか…というか不可能ではないだろうか?

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ゴールデンカムイ3巻23話より。雪山の斜面を滑り降りるアシㇼパ


ゴールデンカムイ』を監修している中川裕氏の著書『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』にこのような記述がある。


 三巻二三話で、アシㇼパがいつも持っている山杖を二股になっているほうを下にして、その上に乗って雪の坂道をすべりおりる場面があります。クワエチャㇻセという説明がついていますが、すごく格好いいシーンで、杉元も「すげえぇ、なんだありゃ!?」と驚いています。しかし、普通に考えてこんな格好ですべりおりられるはずがありません。杖の先端が雪に刺さって、アシㇼパは前に投げ出されてごろごろ転がり落ちるに決まっています。
 実はクワエチャㇻセは「杖ですべりおりる」という意味ではあるのですが、杖に乗るのではなくて、ただ靴ですべるのです。シカ皮の靴は底の毛が前から後ろになびくように貼られていて、坂を登る時には毛がひっかかってすべり止めになりますが、下りる時には逆にすべりやすくなっています。それを利用して滑走するので、その時杖はストック代わりにしてバランスをとるわけです。
 これは野田先生が参考にしているはずの本にそう書いてありますから、彼が勘違いしたわけではなくて、格好いい絵面にするために、わざとこうしたのだろうと思います。たしかに、靴ですべりおりていたのでは、ちっとも見栄えしないし、杉元も驚かないでしょう。監修の立場――つまりリアリティの観点からすれば、これはクワエチャㇻセではないし、物理的に不可能だというしかありませんが、作者の立場――漫画という表現媒体に求められるフィクションという観点からはこれで正解だろうと思います。


やはり漫画の絵は正確な「クワエチャㇻセ」ではなく、本当は杖を雪に刺しながら両足の靴底を使って雪を滑り降りるのが正解のようだ。


漫画なので正しい知識よりもエンターテイメント性を優先してもよい、という考え方もわからなくはない。しかし、本当にそうだろうか?
ゴールデンカムイ』をきっかけにアイヌ文化に対して興味を持つ人も増えているようなので、個人的にはやはり正しい知識の方を優先してほしかったというのが本音である。


また、『ゴールデンカムイ』に対してはこのような指摘もある。作中で描写されている、まだ雪が残る季節の北海道の川で魚を獲るシーンは実際には不可能ではないか?というものである。


asay.hatenadiary.jp


筆者は実際に北海道に住んだことがなく北海道の季節感について全く詳しくないためこれ以上言及するのはよしておくが、もしこちらのブログに書いてあることが本当だとすれば少し残念である。雪山でのサバイバル技術、北海道に生息する動植物など、北海道の自然に関する蘊蓄も、『ゴールデンカムイ』の魅力の一つだと思っていたからだ。
アイヌ文化、北海道の自然、明治時代の産業や流行、軍事、歴史…等々膨大な知識が必要な漫画なので、ある程度の間違いは仕方ないのかもしれないが…

(3) 「明治時代」「旧日本軍」の舞台装置化


3つ目の疑問は、『ゴールデンカムイ』の背景となっている「明治時代」「旧日本軍」という設定が舞台装置化していないか? という点である。


ゴールデンカムイ』の主人公・杉元は日露戦争からの帰還兵という設定だ。
さらに、杉元と敵対する第七師団の鶴見中尉とその部下たちは(クーデターを企てているとはいえ)いずれも現役の軍人や兵士で、やはり日露戦争を経験した歴戦の戦士。
鶴見中尉が金塊を狙う目的は明治政府に対してクーデターを起こし、北海道に軍事政権を樹立して日露戦争で戦った兵士たちに報いる資金にするためだ。


このように作品の重要な背景として日露戦争があり、戦場の過酷さ・悲惨さは幾度となく語られるのだが、そもそも日露戦争がなぜ起こったのか、戦後の経過はどのようなものだったのか、ということは作中で詳しく説明されない。


青年漫画なので読者も当然知っているだろうという前提なのかもしれないが、少なくとも筆者は学校で習った以上の知識はないため、改めて調べなおさなくてはならなかった。
作中である程度は説明した方が、読者が物語をより理解する助けになるのではないだろうか。


またこれは少々意地の悪い見方かもしれないが、作中に出てくる軍人たちはあまり明治時代の軍人らしく見えない。
というのも、鶴見中尉に従ってクーデターに加担するということは明治天皇に逆らうことであり、当時なら大逆罪にあたるはずなのだが、作中の軍人・兵士たちはそれほどの悲壮感や緊張感を持って鶴見中尉に従っているとは思えないからだ。


6巻50話の谷垣(元)一等卒の説明では、鶴見中尉の上司にあたる淀川中佐日露戦争の激戦地・二〇三高地で鶴見中尉の提案を握りつぶして大勢の死者を出したことから彼に逆らえなくなり、その行動を黙認しているということになっている。
鶴見中尉の部下のひとり・鯉登少尉は、少年時代に自分を誘拐犯から助けてくれた鶴見中尉を熱烈に慕っており(実はこれは鶴見中尉が仕組んだ狂言誘拐なのだが)、海軍少将である父親ともども鶴見中尉に協力しているということが20巻で語られている。


これらは、本当に大逆罪と天秤にかけられるほどの弱みや恩なのだろうか? 兵士たちならともかく、明治時代の将校であれば「それはそれ、これはこれ」で、そう簡単に鶴見中尉に協力するという選択はしないと思うのだが、どうだろうか。



以上に書いたような疑問点がありはしたものの、筆者は『ゴールデンカムイ』を楽しんでいた。
多少のことには目をつぶり、魅力的なキャラクターたちが織りなす冒険譚・バトル漫画として読んでも十分に面白かったし、アイヌの歴史に深くは言及せず異文化の紹介にとどまっていたとしても意義はあるだろうと思ったからだ。


が、物語が進むにつれて、筆者はまた新たな疑問を抱くようになっていった。




4. 最近の展開への疑問点(概ね 21巻~)


次に、最近(概ね21巻以降から)の疑問点について書いていく。


単なる筆者の考えすぎならいいのだが、樺太へ連れ去られたアシㇼパを杉元たちが追いかける樺太編」が終わって物語の舞台が北海道へ戻ってからというもの、どうも以前と作品の雰囲気が大きく変わったような気がするのである。


以下には単行本未収録の話のネタバレも含んでいるため、未読の方はくれぐれも注意していただきたい。


(1) 「命をいただく」描写の変化


ゴールデンカムイ』では、捕まえた野生動物を主人公たちが調理して食べるシーンが頻繁に登場する。
話の扉絵でアシㇼパが愛らしい動物と戯れ、ページをめくるとアシㇼパたちがその動物をさばいて食している、という少々ブラックなギャグはもはやこの漫画では定番である。人によっては『ゴールデンカムイ』のそんな部分に対して拒否反応を示すこともあるようだ。


確かに、肉食を忌避する時代が長かった日本人にとってあまり馴染み深いとは言えない文化かもしれない。だが、アイヌ文化ではクマやシカなどの動物を神(カムイ)からの贈り物として大切に食べる風習があるという。『ゴールデンカムイ』の動物に対する描写には、それに倣って常に「命をいただく」という敬意が感じられる。*1
なので個人的には、(ブラックジョーク的に描かれているシーンも含めて)この漫画で動物を殺傷する描写に対してそれほど嫌悪感を抱いたことはなかった。


しかし、最近のある生き物を食べるエピソードに対しては強い違和感を抱いた。23巻に収録されている228話「シマエナガである。


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この話では、杉元が冒頭付近で怪我をしたシマエナガを拾う。ここまで『ゴールデンカムイ』を読んできた読者なら、その時点でこのシマエナガも食べられてしまう運命にあるのだろうと察しがつく。
ところが、その後杉元が霧の中でアシㇼパ・白石とはぐれてしまい、杉元はシマエナガを話し相手にしながら助けを待つことになる。おや、珍しくシマエナガを食べずに解放するハートフルな話になるのか? と思ったのも束の間、空腹に耐えきれなくなった杉元は泣く泣くシマエナガを殺して羽根をむしり、串刺しにして焼いて食べようとする。
そして焼いたシマエナガを口に入れようとした矢先に、杉元を探しているアシㇼパの姿が目に入る。何というタイミングの悪さ。思わず悲鳴を上げる杉元であった…


筆者はこの話を初めて読んだ時、正直に言って悪趣味な話だなと感じた。
以前の動物を食べるエピソードは平気だったにも関わらず、なぜ不快感を覚えたのだろうかと考えてみたが、これまでは読者が動物に感情移入する間もなくあっさりと動物が調理されていたからだと思い至った。


だがこのシマエナガのエピソードでは、杉元の呼びかけに対して応えているかのように見えるシマエナガの愛らしい姿をまる1話分描写した挙句に食べる(それも、調理シーンの描写も何だか生々しい)、という非常に後味の悪いことをしているのだ。
何となく、作者があえて読者にショックを受けさせようという意図を持って描いたかのように感じてしまったのだった。映画「ミスト」のパロディではないかという指摘を見かけたが、よりによってそんな救いのない結末で有名な映画のパロディをやらなくても…と思う。


ゴールデンカムイ』は作者が映画好きなのか、映画(特に洋画)のパロディシーンが多いことでも知られている。それにしてもこのエピソードは、生き物に敬意を払って「命をいただく」というこれまでの描写を否定することになりかねない危険さを孕んでいると個人的には思った。


筆者が『ゴールデンカムイ』の先行きに不安を覚え始めたのは、思えばこのエピソードの前後からだったかもしれない。

(2) エスカレートする下品なギャグ


ゴールデンカムイ』はいわゆる下ネタギャグが多いことでも有名だ。


例としては、アイヌ語でウンコを意味する単語「オソマが頻出したり、熊撃ち猟師の二瓶が獲物を狩る興奮について「勃起」という独特の言い表し方をしたりすることが挙げられる。
他にも、これでもかと言わんばかりに男性キャラクターの全裸が描かれたり、人が死に抗う際に見せる煌めきに性的興奮を覚えて殺人を繰り返す辺見、自然や野生動物を愛するあまり歪んだ獣姦趣味に走る姉畑など、性的に倒錯した囚人が出てきたりもする。


特に姉畑の話はただ下品な話で終わるわけではなく、北海道に生息する生き物の解説や、アイヌの民話と日本の民話における人間と動物が結婚する“異種婚姻譚”の紹介にも繋げているところが上手いと感じた。


人によって好みは分かれるところだろうが、個人的には『ゴールデンカムイ』の下ネタは「下品ではあるのだが下品すぎない」ギリギリの線を上手く攻めているなといった印象を持っていた。珍しくアイヌ文化を大きく取り上げている漫画なのだし、下手に読者の範囲を狭めるよりもたくさんの人に読んでもらった方が有益だろう。


だが今では、どうもその下品なギャグがエスカレートしているように見受けられる。中でも、24巻に収録されているとあるエピソード(239話)はいささかやりすぎではないかと思った。


その話のサムネイル画像がこちらである。(公式のサムネイル画像とは言え、このブログが削除される事態にならなければ良いが…)


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…一応解説すると、この回の内容は娼婦を狙って殺害するジャック・ザ・リッパーを思わせる殺人犯(のちに、何とジャック・ザ・リッパー本人と判明する)が犯行現場でマスターベーションをしている場面に鶴見中尉の部下のひとり・宇佐美上等兵が遭遇し、なぜか犯人に対抗してお互いにセイ液を飛ばしあって戦うことになるという何とも言えないものだ。


このエピソードについては批判の声もある一方、「青年漫画なのだからこのぐらいかまわないのでは」という意見もあるようだ。
確かに『ゴールデンカムイ』は青年漫画なのだが、18禁アダルト向け漫画ではなく一般向け漫画のはずである。さすがにセイ液までこれほどはっきりと描いてしまうのは品がなさすぎるのではないか?と感じてしまった。これでジャック・ザ・リッパーが捕まるわけでもなく、まんまと取り逃してしまうため、それほど意味があるとも思えない描写だ。
(ついでに言えば宇佐美上等兵は最初からこんなキャラクターだったわけではなく、以前は普通に銃や銃剣で戦っていたはずだが…)


これまで作中で描かれてきたアイヌ文化の解説などの真面目なシーンにもそぐわない。作者が心血を注いで描いてきたはずの漫画を自ら台無しにしてしまっているように思えてならず、非常に残念に感じたエピソードだった。


このエピソード以外でも、(ぼかしや影で修正されてはいるものの)やたらと男性キャラクターが股間を露出する描写が増えている気がすることにも釈然としないものを感じている。
実在した人物である石川啄木が追っ手から逃れるために着物を脱いでドブに隠れ、出てきた際に褌まで脱げてしまい局部が露出してしまうシーン(25巻248話)や、過去編の杉元が紆余曲折のすえ丸裸の状態で令嬢に股間を見られたり、全裸で街なかに出てしまうというエピソード(278話(単行本未収録))には悪い意味で唸ってしまった。
実在の人物や主人公をこれほど無様に描かなくても良いのではないだろうか? と思う。


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作者(と編集部)から作品を真剣に描こうという情熱が失われてきているように思えて心配になる。


また、『ゴールデンカムイ』のアニメ版は今のところ3期まで制作されているが、これらのエピソードは恐らくアニメ化できないか、されたとしてもかなり変更が入ることになりそうだ。北海道観光の広告塔にもなっている漫画で、あえて表現の限界に挑むこともないと思うのだが…


(3) 囚人とその死の描写の変化


始めにも書いた通り『ゴールデンカムイ』には多くの殺人犯・凶悪犯が登場する。


前述した辺見や姉畑のようないわゆる変態囚人の他にも、銀行や郵便局を襲い反権力の象徴として人気を博した稲妻強盗こと坂本慶一、網走監獄での苦役によって失明し、脱獄後は盲目の盗賊集団の頭となった都丹庵二といった個性的でどこか憎めない囚人たちの話は読んでいて飽きない。


が、実質最後と最後から二番目の囚人となった二人、上エ地圭二とジャック・ザ・リッパーことマイケル・オストログには、個人的にそれまでの囚人の描写とは違うものを感じた。
マイケルは娼婦ばかりに、上エ地圭二に至っては男児ばかりに狙いを定めて殺害しているのだ。自分より力の弱い者ばかりを殺害している、というのがこれまでの殺人犯と比べて何とも卑劣な感じがするのである。


例えば辺見和雄は日本中を放浪して百人以上を殺害したというとんでもない快楽殺人鬼だが、描写されている限りでは殺害しているのは成人男性ばかりで、最後には主人公である杉元を標的にし、杉元の命の煌めきを目の当たりにして満足そうに死んでいった。
また、姉畑支遁は動物をこよなく愛するあまり動物に対して性欲を覚えてしまい、自らの思いを遂げた後は自己嫌悪から対象の動物を殺害するというこれまた難儀な人物であるが、ついには何と野生のオスのヒグマに命懸けで挑み、思いを遂げた後は喜びのあまり(?)死んでしまうという最期だった。


もし辺見が女性や子供ばかりを狙う殺人犯だったら、姉畑が小動物や大人しい草食動物ばかりを狙ってことに及んでいたら笑って読むことができただろうか?と考えてしまうのだ。



上エ地とマイケルに関してはその死の描写にも違和感を覚えた。これまで登場した囚人は、どんな凶悪犯であっても死ぬ時には目的が達せられたり、自分の人生に納得したりと満足気に死ぬという結末を迎えていた。上記の辺見や姉畑然り、亡くなった他の囚人にしてもそうである。


上エ地圭二は父親の期待に応えることができず辛く当たられた幼少期の経験から、他人をがっかりさせることに生きがいを見出す囚人だ。暗号の刺青を新しい刺青で上書きして解読不能にし、さぞ刺青を狙っている勢力ががっかりするだろうと思ったがそうはならず(これについては後述する)、失望して死んでいく。
とは言え、最後にはがっかりした自分の顔を父親の顔に重ね合わせて笑顔になったため、少しは救いがあった…と言えるのかもしれない。


一方で、完全に救いのないまま死んだのがマイケル・オストログである。孤児として教会で育てられ、自分は聖母マリアの子だという幻想の中で生きていたマイケルは、生き別れていた母親が娼婦だったという事実を知って絶望し、ロンドンで娼婦連続殺人事件を起こす。
その後密かに日本へ渡り、横浜で娼婦を殺害して網走監獄に収監されたという。*2
そしてまだ少女であるアシㇼパに対し、アイヌの伝説では処女のまま子供を産む女の話があったはずだと迫り、杉元に成敗されるという全く救われない末路を迎えている。


確かにマイケルは救いようのない悪人なのだが、何とも読後感の悪い結末だった。


さらに気になるのは、この二人を脱獄させたのは他ならぬアシㇼパの父・ウイルクだということである。同房になった囚人に刺青を施したということだが、人選はもう少し何とかならなかったのか、さらに言えば24人もの囚人を脱獄させる必要はあったのだろうか…


(4) 正義を見失う登場人物たち


杉元一行、そして土方や鶴見中尉たちは、脱獄した24人の囚人たちを捕まえるために北海道中を捜索することになる(大勢の部下がいる土方や鶴見中尉の方が有利に見えるにもかかわらず、実際に囚人に出くわして捕まえることが一番多いのは杉元一行である。これは物語の都合によるご愛嬌というものだろう)。


多くの場合杉元たちは脱獄した囚人の悪行によって周囲の住民が困っているという情報を聞きつけ、その囚人を捕まえる(囚人が改心すれば刺青だけ写して解放するか仲間に加えるかのどちらかだが、改心の見込みのない囚人は多くの場合殺害することになる)。
住民に感謝され、杉元たちはまた次の町や村へと旅立っていく…お約束の展開ではあるが、読んでいてどことなく安定感がある。『ゴールデンカムイ』は、言わば“北海道版水戸黄門のような側面を持っているのだ。こういった部分も人気が出た秘訣の一つだろう。


ところが、24巻238話では、杉元たちが囚人のひとり・海賊房太郎こと大沢房太郎との戦いに船の一般の乗客を巻き込んで迷惑がられ、船の船長に「お前らのせいで俺の船がメチャクチャだ 今すぐ消えろ」と言われてしまうシーンがある。


この時点で「おや?」と思ったのだが、さらに26巻ではゴールデンカムイ』とのコラボ商品も発売しているサッポロビールの工場が囚人との戦いの舞台となり、工場は哀れ火災と倒壊の憂き目に遭ってしまう(せめて全焼・全壊ではなく半焼・半壊くらいの被害であることを祈りたいものだ)。


ゴールデンカムイ』で破壊された実在の建物と言えば、囚人のひとり・家永カノが経営していた札幌世界ホテル*3、そして作中の主要勢力が集結して戦うこととなった網走監獄などもそうである。ビール工場が倒壊したことについては、「これでこそ『ゴールデンカムイ』だ」という感想も見かけた。


だが本当にそう言えるだろうか。札幌世界ホテルは“同物同治”の考えから食人趣味に走る危険人物・家永のアジトという設定だった。網走監獄については、看守たちもまた金塊を狙う勢力ということになっている。つまり、民間の工場であり金塊探しとも囚人とも関わりのないサッポロビール工場の場合と同列に考えることはできないのである。*4


黄金探しのためとは言え殺人も辞さない杉元の行動は、完全な正義とは言えないだろう。「杉元が殺害しているのは危険な脱獄囚、それも杉元たちに害意を持って攻撃してきた者たちに限る」「一般市民はできる限り巻き込まない」というのが、杉元の行動をある程度正当化するエクスキューズになっていたように思う。


これに関しては、杉元の敵(ライバル)にあたる鶴見中尉と土方も同様だ。
鶴見中尉が金塊を狙っている目的は、日露戦争で戦った兵士たちへ十分に報いなかった明治政府に対してクーデターを起こし、北海道に軍事政権を樹立するというもの。また、鶴見中尉は未だクーデターの意思を公にしておらず、今のところ表向きは日本国民を守る帝国軍人の一員として振る舞わなればならない。
土方にしても、目的は北海道を日本から独立させて蝦夷共和国を建国することである。


つまり北海道の市民は鶴見中尉や土方にとって未来の国民にあたる。無闇に市民に迷惑をかけると支持を得られなくなってしまうため、それを避けて行動しなくてはならないのだ。
ただでさえ明治政府・明治天皇に反逆することになる鶴見中尉と土方に味方してくれる市民がそれほどいるのか心許ない状態である。鶴見中尉や土方は、「自分についてくれば今の明治政府に従っているよりもメリットがあるぞ」ということを北海道の市民に対して示さなければならないはずだ。


ところが実際には、鶴見中尉も土方も、そして杉元も、囚人を捕まえることや金塊を見つけることを優先して、ビール工場に対する後始末や補償をしないまま最終決戦の地・函館へと向かってしまった。
それどころか鶴見中尉たちに至っては、変装のために消防団の装備を奪って火事の消火を妨害するという暴挙にまで及んでいる。これが後々の展開へ響かなければいいのだが…


(5) 暗号の解読と黄金の在処、そしてウイルクの非情さ


24人の囚人たちに彫られた刺青が、黄金の在処を示す暗号になっている。暗号を解くには、24人の囚人を捕まえ、刺青を集めなければならないーー『ゴールデンカムイ』の物語は、それを前提に進んできた。


しかし26巻257話において、衝撃の事実が判明する。「暗号を解読するのに、24人分の刺青全ては必要ない」というのだ。しかも、それに対して杉元や土方が驚く様子はなく、杉元は「みんなとっくに気がついてた」と発言する。上エ地圭二が「がっかり」したのはこのためである。


tonarinoyj.jp


自分が見逃していただけで何か伏線があったろうかとそれ以前の巻を読み返してみたが、恐らく24巻で大沢房太郎がもたらした「刺青の暗号は解けない」という不確かな情報が初出なので、ちょっと急展開すぎるのではないかと感じた。


そして実際280話(単行本未収録)では、杉元と土方たちが持っている刺青だけで暗号が解けてしまう。アシㇼパの父・ウイルクが遺したキーワード「ホㇿケウオㇱコニ」(「狼に追いつく」という意味のアイヌ語)に基づき、それぞれの刺青で「ホ・ロ・ケ・ウ・オ・シ・コ・ニ」と読める漢字を重ねると五稜郭の形の線が浮かび上がる、という仕掛けだった。
この完成図を予め頭の中に描いて、しかも囚人の刺青の組み合わせを何パターンか考えて刺青を彫るという神業をウイルクはやってのけたわけだ。果たしてそんなことができるのか、という疑問はあるが…ウイルクは極めて優れた頭脳の持ち主なのだろう。

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ゴールデンカムイ280話より。暗号がついに解読されるが…


ウイルクは「金塊の半分をやる」という約束で24人の囚人を脱獄させはしたが、“24人”というのは囚人が行方不明になってしまった場合などのことも考えた予備も含む人数だったということになる。
確かに24人全員の刺青が無傷で見つかるとは限らないのだが、ウイルクが生きている人間をゲームの駒のように扱っていると感じて少し寒気がしてしまったのは自分だけだろうか? 凶悪犯といえども人間である。どうしても24人という人数が必要だったのなら理解できるが、「念の為24人くらいに暗号を彫っておくか」という考えだったのならいかがなものだろう?


刺青は囚人の皮を剥ぐ前提で彫られていることは1巻で既に示されていた(実際には本人の同意さえあれば刺青を紙に写すこともできるのだが)。それに対し、アシㇼパは「なんて冷酷なことを…」という感想を漏らす。
のっぺら坊が自分の父親ではないかということを知った時にはショックを受けていたし、姉畑が動物を襲った事件の後には、自分の父のせいかもしれないと気に病んだ様子を見せている。


アシㇼパがそれらのことをどう乗り越えるのかというのも作品の肝になる部分の一つだと思っていたが、今ではアシㇼパが父の行いの善悪について考える描写がなくなり、「アイヌの未来を思っての行動だった」と受け入れているように見える。


死んだ囚人、そして脱獄した囚人の犠牲になった人々が浮かばれないように感じてしまい、個人的にはウイルクの作戦、そしてそれに追従する杉元やアシㇼパ、土方たちにも諸手を挙げて賛同できないのが残念だ。




5. まとめ

つらつらと疑問点を書いてきたが、元は自分用のメモのつもりで書きはじめたものをブログ記事として直したものなので読みにくい点があったらご容赦いただきたい。


これほど文句があるなら読まなければいいじゃないか、と言われてしまうかもしれない。
決してアンチの意図はなく、ゴールデンカムイ』の一ファンとして、そして北海道に縁があるものの一人として、作品の行く末を憂慮しているだけなのである。


とは言え物語はまだ完結しておらず、筆者の疑問は杞憂に終わる可能性も大いにある。最新話(この記事を書いている時点で289話)では既に五稜郭での最終決戦の真っ最中だ。


作品が完結したら、また改めて記事を書くかもしれない。




*1:ちなみにアイヌの人々の間で農耕が発達しなかった理由としては、北海道の冷涼な気候は基本的に本州以南で栽培されている作物(例えばイネ)の栽培に向かなかったこと、アイヌの人々は動物の毛皮や肉で交易を行なっており狩猟中心の生活を捨ててまで農耕生活に切り替えるメリットが少なかったこと、などが挙げられるようだ。ジャガイモやタマネギといった作物の生産、酪農、北海道の気候でも育つ低温に強いイネを目指した品種改良が開始されたのは、いずれも近代やそれに近い時代になってからである

*2:余談だが、マイケルが片言とは言え日本語を喋れるようにまでなっているのは娼婦に声を掛けるためだろうか? それにしては複雑な内容のことも話せているため、かなりの努力が要ったはずだが…

*3:正確には「札幌世界ホテル」という建物があったわけではなく、実在した建物・旧浦河支庁庁舎が外観や内装のモデルとなっている

*4:サッポロビールの前身となった会社は官営だったが、『ゴールデンカムイ』作中の時代にはすでに民営化されている